学芸員自然と歴史のたより「電信線を最初に描いた日本人」

広瀬格蔵「環海航路日記前編」

 

 この単純な絵は、1860年近代日本初の外交使節団員(万延元年遣米使節団)が、パナマ鉄道に沿って敷設されていた電信線を描いたものです。「テレガラフ(Telegraph)」の説明は、「車(蒸気機関車)を出す前、合図する者(物)。百里・二百里は、目ばたきの間にわかる。」出発するという伝言が、瞬きしている間に情報が届くというのです。電線の太さは、お箸ほど、高さ5.4メートルの柱が、9メートル間隔で並んでいた。その凄さを漢詩で、「置郵何用尺書傳電氣巧成疾似弦一縷神機千里外寄言頃刻幾囘旋、傳信機(何用の尺書を置郵するに、傳電氣は巧成にして、疾きこと弦一縷に似たり、神機は千里の外、頃刻にして幾囘旋して言を寄す、傳信機」(北條煥)と、神速を表現しました。

 この後、ヨーロッパも見分した福沢諭吉が、電信網を地球を取り巻く「蜘蛛の巣」(spider’s web)のようだと表現したのは、慶応2年1866年のことです。そうです、今当たり前にWEBの恩恵にあずかっている現代人の生活は、19世紀から始まっていたのです。

 ちなみに、日本へ最初に電信機を伝えたのは、1853年M.C.ペリーです。翌年オランダも幕府へ献上しました。その効果を理解し、慶応2・3年には全国の電信網を計画し、維新で途絶しました。しかし、新政府は直ちに計画を継続し、明治4年1871年、中国の上海と長崎を海底ケーブルで結び、明治11年3月に全国の通信網が完成しました。(文献史学担当:安池)

 

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