様々な災いへの対応【学芸員自然と歴史のたより】

先日、博物館教室「三浦半島の民俗」で横須賀市長井を受講者のみなさんと歩きました。一番の目的は、横須賀市指定重要民俗文化財にもなっている「長井町荒井の道切り」を見学することでした。

 

荒井の道切り

 

道切りとは、ムラの境にワラジやサイコロなどを吊り下げたしめ縄を張る習俗で、災いがムラに入ってこないようにするものです。長井町荒井の道切りでは、ヘビ、サイコロ、大きなワラジ、刀(藁で作ったもの)が吊り下げられています。それぞれの意味ですが、ヘビは災いをもたらす生物の象徴になっていると考えられ、ムラに入ってこないようにと吊り下げられています。現代でも畑などにカラスを模したものを吊り下げていますが、それと同じようなことではないでしょうか(効果のほどはわかりませんが)。サイコロは博打うちが入ってこないようにと荒井では伝わっているようです。ワラジは「うちのムラにはこんな大男がいるぞ」と威嚇しているようです。刀は災いを切り裂くという意味でしょうか。お隣の房総半島、木更津市では「網つり」と呼ばれ、災いを通せんぼする人形、災いを跳ねのけるエビ、災いを洗い流すタワシ、たくさんの足で災いを怖がらせるタコが吊り下げられているようです。

それでは、災いへの対応・対策として昔の人々はどのようなことを編み出してきたのでしょうか?

その方法として大きく2つに分けられます。1つ目は対抗的なもので、(1)聖性に頼るもの (2)異形を用いるもの (3)言語や笑いによるもの (4)色や臭いや音によるもの (5)火を用いるものです。(1)の例としてお札などが挙げられますが、藁で作ったとはいえ荒井の道切りで吊り下げられている刀もこれに入るかもしれません。(2)の例としては、まさに荒井の道切りで吊り下げられていた大きなワラジが当てはまるでしょう。(3)の例として挙げられるのは、横須賀市長井や佐島で使われる「ちょうどいいや」という言葉です。普通は、タイミングが合ったり必要なものが見つかったりしたときに使われる言葉ですが、長井や佐島の漁師さんはタイミングが合わなかったときや失敗したときに使うのです。強がっていると言ってしまえばそれまでですが、災いを災いとも思わない意気込みを感じます。(4)の例として挙げられるのは、民俗学的に「モグラ打ち」と呼ばれるものです(呼び方などは様々です)。小正月や節分に、藁を束ねたものや小槌を地面に叩いて音を出しながら畑やムラのなかを歩く行事です。横須賀市須軽谷でも小正月にサンマタ(藁を編んだもの)を地面に叩きつけ「オンベを燃すから起きらっせ」と叫びながら子どもたちが歩きます。音によって作物を荒らす「モグラ」をムラから追い出すことを願ったもので、須軽谷の場合はオンベ焼きを知らせるものとしてなされていますが、いわゆる「モグラ打ち」の要素もあると思います。(5)の例としては、虫送りが挙げられます。近隣では横浜市南山田の虫送りが有名です。夏の夜、松明を焚いた人々がムラの中心からムラの外へと歩きそれに伴って稲につく害虫がムラの外に出ていくことを期待した行事です。

 

須軽谷「オンベを燃すから起きらっせ」

 

以上は対抗的な行動でしたが、逆に災いに対して第2の手段として、おもてなしをすることが挙げられます。例えば、お盆に盆棚とは別に餓鬼棚を設けるように、本来お祀りするご先祖様以外の存在に対してもおもてなしをすることで、その場の平穏を祈るものです。また、以前の学芸員自然と歴史のたより「孫悟空ではありません!」でもご紹介した横須賀市津久井の厄神様(ヤクジンサマ、5月24日と9月24日に道行く人々に赤飯のおにぎりを配る)も疫病神をもてなす(誰に対してももてなす)行事でした。

 

ヤクジンサマの赤飯おにぎり

 

災いへの対応が様々であることは、日々災いに悩んでいた証拠でもあります。これは何も昔のことではありません。現代に生きる我々も、健康や人間関係に不安を抱えたり様々な理由から金策や転職を考えたりと悩みは尽きません。そんなときは、長井や佐島の漁師さんのように「ちょうどいいや!」と叫ぶと少し気が楽になるかもしれません。(民俗学担当:瀬川)

 

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