横須賀製鉄所副首長ティボディエの家① 調査と発見【学芸員自然と歴史のたより】

■ ティボディエとその家

 旧横須賀製鉄所副首長ティボディエの家は、1870(明治3)年頃に建設された木骨煉瓦造コロニアル様式の建物です。

 住んでいたティボディエさんの人物像については、以前のメルマガ「横須賀製鉄所の指導者ヴェルニーとティボディエってどういう関係?」『学芸員自然と歴史のたより』で一部ご紹介させていただきました。ティボディエは、1869年に横須賀製鉄所副首長として来日したフランス人技術者で、フランスで最高水準の教育を受け、帰国後もフランス海軍の技術者としてトップの要職を歴任した人物でした。また、横須賀製鉄所首長ヴェルニーの義理の弟にあたる人物でもあります。

 

ティボディエ北東全景

 

■ ティボディエの家の発見

 横須賀製鉄所の当初建築は、確認できない状況が長らく続き、現存しないと指摘する専門家もいました。そのような中、近年に現存が確認されたのが、副首長ティボディエの家でした。建築年は1870(明治3)年頃と推定され、少なくとも東日本現存最古と考えられる西洋建築です。

 ティボディエの家の現存は、米海軍からの解体計画の連絡を機に2001(平成13)年7月12日に実施した横須賀市自然・人文博物館と市民有志による調査と、翌8月の横須賀市教育委員会による学術調査で証明されるに至ったものです。学術調査は、アメリカ政府の年度末である9月末までに、結果を求められる大変厳しいものでした。また、調査時期が真夏であり、蒸し暑い中で屋根裏での計測作業を行う必要があるなど、気候条件も厳しいものでした。しかし、調査現場は、米軍関係者等との交流が育まれて終始和やかな雰囲気で、暑さを心配して扇風機と延長コードを買ってきてくれた親切な人がいたり、基地内のレストランの食事ではヴォリュームや味の違いに驚くなど、微笑ましいエピソードもたくさんありました。

 歴史的に重視されてきた横須賀製鉄所の建築発見のニュースは大きな話題となりました。そして、ティボディエの家の歴史的価値は米海軍によっても深く理解されるとともに、日本建築学会からも「国内第1級の歴史遺産」と位置付けられて保存要望書が関係者に提出され、同年9月末までの解体撤去計画は回避されるに至りました。2001年9月11日には、アメリカ同時多発テロ事件もありましたが、その直後であっても米海軍側での調査協力体制は強く維持され、補足調査が必要であればいつでも実施するようにとの連絡を受けたほどでした。このように、米海軍、横須賀市、日本建築学会などの関係者によるティボディエの家への価値認識の強さは確固たるものがありました。

 2003年からは、建築の保存を目的とした解体調査と部材保管が行われました。

 そして、学術調査での発見から約20年後の本年5月29日、ヴェルニー公園内に、ティボディエの家の外観イメージを再現し、屋根裏の大型部材や木骨煉瓦造壁などの当初部材の一部を用いた「よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸」がオープンしました。

 ティボディエの家は、日本建築学会からも国内第1級の歴史遺産と位置づけられた重要な建物です。しかし、建設当初の姿には未だ不明な点も多く、建設当初の姿を探求する調査研究は今後も行われ続けるでしょう。

 次の機会には、これまでの調査で分かっているティボディエ邸の特徴について、ご紹介したいと思います。(近代建築史担当 菊地)

 

ティボ矩計実測図

ティボ邸平面実測

 

ティボディエ旧現状重ね平面

 

 

<参考文献および関連資料>

1) 在日米海軍横須賀基地B‐53建物調査団(団長:初田亨)『在日米海軍横須賀基地B‐53建物調査報告書』横須賀市教育委員会, 2001年9月

2)『ティボディエ邸調査報告書』横須賀市教育委員会, 2011年2月

 

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