虎は千里往って千里還ると申しまして…
今年のプロ野球は、阪神タイガースが惜しくも日本一を逃してしまいました。私は虎党ではありませんが、寅年生まれの人間としてはとても残念でした。熱狂的で激しいヤジで知られる虎党ですが、それは選手への愛情表現なのかもしれません。虎は千里往(い)って千里還(かえ)るという諺は、勢いが盛んな様子を例えた表現であると同時に、親が子を強く思い愛情深いことを例えた表現でもあります。さらに、遠くに行っても無事に帰ってくるという意味でも使われることがあります。その例として、三陸地方に伝わる虎舞(とらまい)が挙げられます。
遠くに出掛けても必ず戻るということで、虎舞は漁師の海上安全を願って踊られることが多い民俗芸能です。虎舞とは、岩手県の釜石市や大槌町を中心に三陸沿岸各地で見られ、虎を模した頭に黄色と黒のしま模様の幕をつけて2人で1匹の虎として舞い踊るものです。もちろん、各地域各団体によって虎舞も様々です。舞だけに特化した演目を披露するものもあれば、それに演劇の要素が加わっているものもあります。演劇の要素とは、近松門左衛門原作の人形浄瑠璃・歌舞伎『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』の「千里々竹」という場面をもとにしたもので、和唐内(わとうない)という人物が虎を退治する場面です。


安渡虎舞(大槌町観光交流協会 提供)
実はこの話、横須賀市民の方ならご存知かもしれませんが、横須賀市浦賀・野比で行われている虎踊りと同じなのです。もちろん、横須賀と三陸とでは違うところがいくつもありますが、もとは『国性爺合戦』ですので似ているわけです。浦賀の虎踊りは、1720年に伊豆の下田から浦賀へと奉行所が移ったのに合わせて伝わったとされています。しかし、近松門左衛門が人形浄瑠璃『国性爺合戦』を大坂で初上演したのは1715年、その翌年には、京都で歌舞伎として上演されました。その後、江戸でも上演されたのですが、この時系列から考えると、下田から虎踊りが1720年に伝わったとするのは、少し無理がありそうです。ただし、現在の虎踊りがそのまま伝わったのではなく、何かしらの民俗芸能(獅子舞など)が下田から伝わり、それに歌舞伎の演目として人気だった『国性爺合戦』の要素が加わって現在の姿になったと考えれば自然です。
ところでみなさん、大ヒットを記録している映画『国宝』はご覧になりましたか?そのなかで宴会のお座敷でプロの歌舞伎役者になる前の主人公が歌舞伎の演目を披露するシーンがありました。昔は地芝居・農村歌舞伎などといった村の芸能として自分たちの手で歌舞伎を上演することが多くありました。つまり、「プロの歌舞伎をマネて自分たちもやろう!どうせならアレンジも加えよう!」という発想は普通のことでした。こうして、横須賀の虎踊りや三陸の虎舞が生まれたと考えられます。三陸の虎舞でも起源が江戸時代に遡るものは、「千里々竹」の場面を演じます。
そうだとしても、「三陸の人々が江戸に来ることがあったのか、江戸の文化を知ることができたのか?」と疑問に思われるかもしれません。しかし、海はつながっているのです。そもそも漁師が西へ東へと魚を追いかけて交流が生じることは珍しくありませんし、大槌町の場合は豪商・前川善兵衛という人物がカギを握ります。前川は豪商として三陸の海産物を自前の船で江戸・大坂・京都などへと送り、交易をおこなっていました。今でも前川善兵衛は、吉里吉里(きりきり)善兵衛の愛称で大槌町の偉人として慕われています。大槌漁場音頭の歌詞には「華のお江戸の色街あたり 海苔の羽織を身に着流した 吉里吉里善兵衛の 吉里吉里善兵衛の 伊達姿 良いとこ大槌 大きい槌よ」とあります。

大須賀青年親交会手踊り連中による大槌漁場音頭
実際に、吉里吉里虎舞と安渡(あんど)虎舞の由来は前川善兵衛や船の乗組員たちが『国性爺合戦』に感動したからとされています。前川は浦賀の商人とも取引をしていたようですし、江戸に入る船は必ず浦賀奉行所が検査をしていましたので、その間に浦賀の人々と大槌の人々が虎談義をしていたとしても、不思議ではありません(もちろんそのような談義はなく、独自に『国性爺合戦』を取り入れた可能性もあります)。余談ですが、大槌町のシンボルでもある蓬莱島(NHK人形劇で有名な『ひょっこりひょうたん島』のモデルとなった島)に祀られている弁財天像は東日本大震災によって損傷してしまいましたが、横須賀市内の仏師・梶谷叡正さんによって修復されました。
さて、そんな大槌町の虎舞は毎年9月に開催される大槌祭りで観ることができます。大槌祭りでは、虎舞や手踊りのほか、神楽や鹿踊り(ししおどり)、七福神など町内17の民俗芸能が一堂に会し、民俗芸能の宝庫として名高い三陸らしいお祭りとなっています。また、浦賀の虎踊りは毎年6月に行われ、野比の虎踊りは隔年開催で今年は10月に行われました。
そうか今年はもう横須賀の虎踊りを観られないのか…と残念がるのはまだ早いです!浦賀の虎踊りは、2025年12月6日(土)に横須賀市文化会館で開催する「カナガワ リ・古典プロジェクト in 横須賀」(https://www.pref.kanagawa.jp/docs/yi4/rekoten/rekoten2025_yokosuka.html)に出場しますので、詳細はホームページでご確認ください。
関連行事として、横須賀市自然・人文博物館にて同日①12時~12時40分②12時50分~13時30分の2回、民俗展示の解説(予約不要・無料)をいたします。ここでお話した内容のほか、海を介した漁師の往来やそれによって広がった文化などを中心にお話します。気がつけば岩手から上京して20年以上、そのうち横須賀で働いて14年が経った学芸員がお話しますので、ぜひお越しください。(民俗学担当:瀬川)
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