ナウマンゾウの里帰り
令和8年度特別展示「国立科学博物館巡回展『未来へつなぐ博物館』」では、横須賀製鉄所で発見されたナウマンゾウ下あご化石が、155年ぶりに横須賀へ里帰りしました。この展示は、化石の左側を収蔵する国立科学博物館と、右側を収蔵する学習院中・高等科のご協力により実現したものです。この化石については、「世界初のナウマンゾウ化石」の記事ですでに紹介しました。今回は、ナウマンゾウの化石が横須賀を離れ、今回里帰りするまでの経緯に注目して、詳しくご紹介します。
1867年、横須賀製鉄所(現在の米海軍横須賀基地)の建設に伴って白仙山が掘削された際、ゾウの下あご化石が発見されました。同年11月には、この化石は「古象骨」として写真に記録されています。横須賀製鉄所に勤務していたフランス人医師サヴァティエは、1866年の書簡に、製鉄所の建設予定地で「バクに似た動物の頭部1点」などの骨を採集したと記しています。しかし、これらが現在ナウマンゾウの下あごとして知られる化石と同一のものかどうかは明らかではありません。そのため、ここでは写真が撮影された時期に基づき、この化石は1867年に発見されたものとして扱います。

図1.A, 横須賀製鉄所建設中に発見されたナウマンゾウの下あご化石.1867年11月6日撮影.ヴェルニー本家資料より.B, 現在の所蔵機関を書き入れたもの.
下あご化石は1871年5月、東京・神田一ツ橋にあった大学南校(東京大学の前身)へ送られました。それ以降、この化石が横須賀に戻ることはなく、今回の展示で155年ぶりの里帰りとなりました。
化石は、1871年5月14日から20日まで大学南校物産会で展示された後、東京大学理学部地質学科の初代教授であり、ナウマンゾウの名前の由来となったドイツ人地質学者、エドムント・ナウマン(1854~1927)によって研究されました。ナウマンは1881年の論文でこの下あご化石を報告しています。しかし、ナウマンが残したスケッチには左側の臼歯が描かれていません。一方、1867年に撮影された写真や、1871年の大学南校物産会で作成されたスケッチには、左右両方の臼歯が示されています。このことから、左臼歯はナウマンが研究する前に行方不明になったと考えられます。

図2.ナウマンが描いたスケッチ.Naumann (1881).
なお、ナウマンは横須賀製鉄所産の下あご化石を「ナウマンゾウ」と命名したわけではありません。ナウマンはこの化石を、インド産の化石ゾウであるナマディクスゾウと考えました。ナウマンゾウを命名したのは、日本の古生物学者・地質学者である槇山次郎です。槇山は、静岡県浜名湖産の下あご化石をホロタイプ(完模式標本)として、1924年にナウマンゾウをナマディクスゾウの亜種として定義しました。現在では、ナウマンゾウは独立した種として扱われています。
その後、下あご化石は文部省博物局や東京帝室博物館(宮内省所管。現在の東京国立博物館)など、国の機関で保管されていました。しかし、1923年の関東大震災後、東京帝室博物館天産部が廃止されたことに伴い、化石は左右に分かれて保管されることになりました。左側は東京博物館 (文部省所管。1949年に国立科学博物館へ改称)、右側は学習院 (当時は宮内省の外局。戦後の学制改革を経て、1947年に私立学校として再出発) に引き継がれました。
当館では長らく、国立科学博物館が所蔵する左側の下あご化石のレプリカのみを展示していました。展示開始時期を示す記録は残っていませんが、横須賀市自然博物館が開館した1970年頃から展示されていたと考えられます。2019年には、学習院中・高等科から右側の下あご化石を借用し、レプリカを作製しました。これにより、レプリカではあるものの、左右の下あご化石が約148年ぶりに横須賀でそろうことになりました。
そして2026年、国立科学博物館巡回展が当館で開催されることとなりました。企画の際、「ナウマンゾウ下あご化石の実物を展示できないか」と国立科学博物館へお願いしたところ、快くご協力をいただきました。さらに、学習院中・高等科所蔵の右側の下あご化石もお借りできることとなり、今回の展示が実現しました。このような貴重な資料を展示できるのは、博物館が資料を「残す」という役割を長年にわたり果たしてきたからこそです。博物館に勤める学芸員として、貴重な資料を未来へつないでいくことの大切さを、あらためて感じました。(地球科学担当:柴田)

図3.横須賀市自然博物館、横須賀市自然・人文博物館のナウマンゾウ下あご化石の展示.A, 2009年.B, 2019年.左右の下あご化石 (レプリカ) がそろう.C, 2026年.実物化石の展示が実現.
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