職人と職工【学芸員自然と歴史のたより】

 5月6日まで企画展示「横須賀の職人道具」が開催中です。職人の世界というと厳しい上下関係や修行の日々が思い浮かぶのではないでしょうか?確かに昔は、住み込みで10年修行してようやく一人前というようなものでした。弟子入りしたら雑用からはじまり、師匠や先輩の技を見て盗みながら自分のものにしていきます。そうやって型を身に着けていくのです。職人はそうして身に着けた型をもとに、我々(お客さん)に合わせた物やサービスを提供してくれます。現代の大量生産で提供される画一的な物やサービス(量販店・ファストフード・100均・1000円カットなどなど)よりも、我々と一対一で向き合ってくれるのが職人なのです。例えば、我々の身体に合わせたスーツを仕立ててくれたり、我々が思い描く髪型へと丁寧に仕上げてくれたり、体調や体質に合わせた食べ物を作ってくれたりするのです。

 しかし、職人の数はどの分野も減っています。その理由は多々あるでしょうが、不景気による納期短縮や経費削減によって、いかに効率的に物やサービスを提供するかが求められるようになり、じっくりと我々に向き合う職人さんの居場所がなくなったことが大きな理由でしょう。例えば、一生に一度の買い物であるマイホームも昔と比べてあっという間に建つようになりました。また、一対一のやり取りが面倒だと思う人が多くなったこともあるかもしれません(その理由もいろいろ考えられますが…)。

 一方、工場で働く職人を職工(しょっこう)と呼ぶことがあります。職工も自分が持っている知識や技を使って仕事をしますが、大人数で作業することやその技能を学校で学ぶことが職人との違いです。企画展示でご紹介している浦賀ドックも高校や大学で学んだ職工もいれば、浦賀ドック独自の養成学校で学んだ職工もいました。もちろん、職工も自分の技に誇りを持ち、正確な仕事を常に心がけます。そうでなければ、重厚長大な工業製品が正確に動きませんから。

 職工というと、私は最近お亡くなりになった横須賀市津久井出身のMさんを思い出します。Mさんは県立横須賀工業高校を卒業後、市内の造船会社を経て、川崎の日本鋼管で働きました。退職後、一市民として博物館の講座を受講していたMさんから、自己紹介としてたくさんの名刺をいただいた時のことを今でも鮮明に覚えています。定年退職から嘱託職員となる前後の名刺を手に「私はずっと平社員だった」とどこか自慢げでした。今思えば、ずっと現場にいて職工であり続けたのが自慢だったのでしょう。誰に媚びることもなく自分に与えられた仕事をする姿は、職工も職人であることを表しています。違う点を挙げるとすれば、職工の誇りは最終的に自分の勤めている会社へと帰結すること、職人のように職住一致が原則ではないことでしょうか。今回の展示は「横須賀の職人道具」ということで市内で使われていた職人・職工道具に限定して展示しています。Mさんが勤めていたのは川崎の会社ですが、多くの横須賀市民が川崎の京浜工業地帯などで働き、日本の発展に寄与しながら市民税を納めてくださったことも忘れてはなりません。そして、Mさんも横須賀が好きだからこそ、退職後、私に横須賀のことをたくさん教えてくださったのだと思います。今回の企画展示が、皆様にとって、仕事への誇りを考えるきっかけになれば幸いです。(民俗学担当:瀬川)

 

Mさんが使っていたノートや書籍と会社の記念品

 

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