学芸員自然と歴史のたより「サムライたちのフランス出張-「横須賀製鉄所」建設への熱意」

1865年、日本最大の近代的工場施設であった横須賀製鉄所が起工されました。

その建設にあたって、江戸幕府はフランスに技術支援を依頼し、首長として技術者のヴェルニーが推薦されました。

ヴェルニーは直ちに横須賀製鉄所の基本計画をまとめあげて江戸幕府の役人に提出。さらに、横須賀製鉄所へのフランス人の雇用と機械の輸入等の実務をフランス現地で進めるため、ある程度の権限をもつサムライ一行のフランス派遣を依頼しました。すなわち、横須賀製鉄所建設にともなうサムライたちのフランス出張の依頼でした。出張者のリーダーに選ばれたのは、横浜開港などに貢献し、国際経験もあった柴田日向守剛中という人物でした。

柴田らサムライ一行が横浜港を出航したのは、 慶応元年5月5日(1865年5月29日月曜日)。そして、ほぼ2か月の公開をへて、同年7月6日(1865年8月26土曜日)フランスのマルセイユに上陸しました。そして、その翌日にサムライ一行とヴェルニーが面会しました。フランス人ヴェルニーと幕府の役人サムライ一行は直ちに打ち合わせを行い、速やかに出張業務を開始しました。

彼らは精力的に業務を進めて、次々とフランス人の雇用や輸入機械の選定を行って成果を重ね、サムライ一行は慶応元年12月3日(1866年1月19日金曜日)にマルセイユを出航、帰国の途につきました。そして、慶応2年1月26日(1866年3月12日月曜日)、横浜港に帰航しました。彼らの船には、横須賀製鉄所の初代建築課長のレイノーが乗船したほか、購入した機械の一部も積まれており、帰港の翌日に機械の荷揚げが開始されました。ヴェルニー記念館に展示している国指定重要文化財スチームハンマーもこの船で運ばれてきたものと考えられます。

彼らの出張についてはこれ以外にも興味深い出来事が確認できます。横須賀製鉄所に関する権限を委任された柴田日向守剛中は、このフランス出張中の様子を日記に克明に記録しました。この日記から、出張中の様々な出来事を知ることができます。

柴田の日記はくずし字で記されておりますが、これを読みやすい形に翻刻した方がおり、次の文献にて消化されています。興味を持っていただいた方のために書名を記させていただきます。「君塚進校注「仏英行(柴田剛中日載七・八より)」『西欧見聞集 日本思想体系66』(岩波書店,1974年)。同書などを解釈して解説を付した資料も当館で刊行販売しています。書名は、「慶応元年柴田日向守一行のフランス軍港視察と横須賀製鉄所の建設事業について-横須賀製鉄所におけるフランス系技術の導入に関する研究(その1)」『横須賀市博物館研究報告(人文科学)第54号』(横須賀市自然・人文博物館,2009年12月)となります。

上記でご紹介した書物は専門的な内容ですが、今回の記事で興味を持った方が多いようでありましたら、次回以降、出張内容の一部を紹介することも検討してみたいと思います。ご一読ありがとうございました。(近代建築学担当:菊地)

国指定重要文化財スチームハンマー(旧横須賀製鉄所設置)、3トン門形の稼動時の写真(平成8(1996)年8月22日撮影、在日米海軍横須賀基地内)

 

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