学芸員自然と歴史のたより「横須賀製鉄所で重視されたものは何か?」

 横須賀製鉄所は、大きな船の修理や日本の工業力強化を目的とした幕末最大の建設事業でした。事業を託されたフランスでは、そのトップを務める首長にヴェルニーをすすめてきました。まだ20代のヴェルニーを見た幕府のサムライの中には、初めは不安に思う者もいましたが、仕事を始めてすぐに優秀さが褒め称えられるようになりました。

 ヴェルニーはフランスで最高水準の教育を受け、中国の寧波(ニンポウ)の造船所をへて1865年に来日し、横須賀製鉄所を成功に導きました。

横須賀製鉄所首長フランソワ・レオンス・ヴェルニー(François Léonce Verny,1837-1908)  出典: 『蒸気工業発達史』より

 

 首長を強力にサポートしたのが、副首長ティボディエでした。彼もまたフランスで最高水準の教育を受けて来日しました。勉強家であり、フランス帰国後も要職を歴任してヴェルニー夫人の妹と結婚しました。すなわち、ヴェルニーの弟となりました。

横須賀製鉄所副首長ティボディエが設計した「軍艦清輝」 出典:『横須賀海軍船廠史』より

 

 フランス本国でもエリートとして歩めた2人が、あえて来日して横須賀製鉄所で最も力を注いだのは教育でした。そして、彼らは、当時の日本で最高水準の学校であったと考えられる「黌舎(こうしゃ)」という付属校を設立しました。その実態は、11月からの博物館教室「三浦半島の都市建築史」、来年3月からの企画展示「横須賀製鉄所の同窓生」でも紹介する予定です。(近代建築史担当 菊地)

 

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