浦賀の赤煉瓦ドック

2026.02.01

 浦賀は歴史的魅力に満ち溢れたまちです。今回はその浦賀にのこる赤煉瓦でつくられたドライドックについてとりあげたいと思います。ドライドックは、おもに船の修理に使われる施設で、赤煉瓦造のドライドックは、今のところ日本では浦賀でしか確認されていない希少なものです。今回は、その歴史的価値が広く知られることを願ってご紹介したいと思います。しかも浦賀には、赤煉瓦造のドライドックが2基ものこされており、我が国で赤煉瓦のドライドックが2基もみられるのは浦賀のみであり、浦賀の歴史的魅力を高め、特徴づける貴重な存在であるとも考えられます。

 

浦賀1号ドックで修理中の天城(若村家寄贈、横須賀市自然・人文博物館蔵)

 

 まず、一つ目の赤煉瓦造ドライドック。それは、「川間ドック」(旧石川島造船所浦賀分工場船渠)です。「川間ドック」は、横須賀造船所の付属学校「黌舎(こうしゃ)」出身の恒川柳作の設計によって、明治29(1896)年に起工し、明治31(1898)年8月に竣工したものです。現在は、ドックのふたが外されて水が入った状態で横須賀市西浦賀の地に現存しています。

 

明治時代の浦賀1号ドック(若村家寄贈、横須賀市自然・人文博物館蔵)

 

 もう一つの赤煉瓦造ドライドックは、重要な歴史遺産として全国的にもたびたび紹介され、美麗な外観を呈する「浦賀の1号ドック」(住友重機械工業株式会社浦賀工場1号ドック(旧浦賀船渠株式会社第一船渠))です。このドライドックは、横須賀造船所の現場で設計技術を学んだ杉浦栄次郎の設計により、明治31(1898)年に起工し、明治32(1899)年に完成した「赤れんがのドライドック」です。

 これらが浦賀にのこる赤煉瓦造ドライドック2基です。日本には、赤煉瓦造のドライドックは2基しか残されていないという説もありますので、この説に信をおけば、「川間ドック」は日本初起工、「浦賀の1号ドック」は日本最大の赤煉瓦造ドライドックということになります。

 

 この浦賀の2基のドライドックが建設されたころ、横浜にも2基のドライドックが完成しました。この、浦賀と横浜の4基のドライドックは、民間工場のドライドック建設の始まりを物語るもので、これ以後、日本の民間船は、海軍のドライドックでは無く、民間工場のドライドックで定期検査や修理を行うようになります。定期的に船をドックで検査するというと、人間の健康状態をチェックする人間ドックを連想してしまいますね。

 ちなみに、横浜の2基のドライドック(1号ドックと2号ドック)は、みなとみらい地区に現存しています。設計者は、浦賀の川間ドックと同じく、横須賀造船所で技術を学んだ恒川柳作で、1号ドック(旧横浜船渠株式会社第1号船渠)は明治31(1898)年、もう一つの、2号ドック(旧横浜船渠株式会社第2号船渠)は、明治29(1896)年に竣工しました。2基ともに「石造のドライドック」で、いずれも国の重要文化財に指定されています。しかも、設計者が横須賀造船所で技術を学んだ恒川柳作ですので、米海軍横須賀基地内の現存する旧横須賀造船所のドライドック群と似ています。

 そのような中、浦賀のドライドックは、横浜の国指定重要文化財のドライドックとほぼ同年代に建設されたものであるのに加え、煉瓦造の技術をとり入れた希少性を有しています。また、当館には、浦賀の1号ドックの設計図などの一次資料群も同時に伝来するなど、我が国の建設技術史上でも重要な存在であると考えられますさらに、近年には、浦賀1号ドックの工事中の写真や創業期の写真の寄贈もうけ、ドック本体の価値もますます高まってきております。

 

工事中の浦賀1号ドック(若村家寄贈、横須賀市自然・人文博物館蔵)

奥の山の手前は現在の幹線道路

 

 冒頭でも前置きしたように、浦賀は歴史的話題に事欠きませんが、今回ご紹介しました「2つの赤煉瓦ドック」もまた浦賀の大切な歴史遺産であり、その歴史的価値の認知度がもっと広がることを願っております。(近代建築史担当:菊地勝広)

 

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