学芸員自然と歴史のたより「「ナウマンゾウ発見」をもたらした横須賀製鉄所」

 図1は、明治初期に観光パンフレットとしてつくられた「横須賀港一覧絵図」です。図の下の方は、現在のヴェルニー公園あたりになります。図の真ん中には、現在のヴェルニー公園の対岸の様子が描かれています。ここには、たくさんの工場などが描かれています。この工場群は、横須賀製鉄所として起工され、明治4(1871)年に横須賀造船所となった施設です。その中心的な施設は、ドライドックと呼ばれるもので、大きな船を修理するのに活躍しました。

図1.横須賀港一覧絵図(明治12年官許、当館蔵).横須賀造船所の観光用としてつくられた絵図.

 

 図の真ん中から、やや左上の方に、岸壁から内陸部の方に向かって掘られた3つのドライドックに船が入っている様子が描かれています。大きな船は、完成後に海に入れた後、陸地に引き上げて修理するのが難しくなります。そこで活躍したのがドライドックで、横須賀製鉄所(造船所)でも外国の民間船も含めて修理を行い、収益を得ていました。職員の勤務時間外にドックを延長して使用する場合には、時間外の割増料金も必要だったようです。標準の勤務時間を定めて労務管理を行っていた点でも横須賀製鉄所は先駆的な施設でした。

 このように、横須賀製鉄所(造船所)の中心的な施設であったドライドックですが、建設前はどのような場所だったのでしょうか?このドライドックの敷地には、かつて高い山をもつ半島がありました。ドライドックはこの半島の山を切り崩して、更に岩盤を掘り込んで建設されました。そのため、地盤が安定しており、これらのドライドックは現在でも現役で使用されています。

 この大きな山を切り崩している最中、大きな骨の化石が発見されました(図2)。建設に携わったフランス人たちは、この化石の写真を撮影し、化石とともに大切に保存しました。この写真は、横須賀製鉄所首長ヴェルニーの子孫宅にも保存されており、写真の説明には、「Mâchoir(あご) fossile(化石) d’elephant(ゾウの) 6 Novenbre 1867」と記されています。横須賀製鉄所のフランス人は、専門家が研究する前に、発見された化石を「ゾウのあごの化石」と特定していた可能性があります。横須賀製鉄所で発見されたこの化石は、ドイツ人の「ナウマン」によって研究され、後に「ナウマンゾウ」と名付けられました。そう、横須賀は「ナウマンゾウ発見の地」であり、最先端の学術研究と向き合い続けてきた都市でもあります。(近代建築学担当:菊地)

図2.横須賀で発見されたナウマンゾウの化石.1867年(慶応3年)の日付入り.世界で初めて科学的に研究されたナウマンゾウ化石.

 

 

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