学芸員自然と歴史のたより「横須賀の日本遺産-「ヨコスカ製銕所」の赤れんが」

 横須賀市には日本遺産に登録された文化財がたくさんあります。

 「ヨコスカ製銕所」の名が刻まれた赤れんがもその一つです。

 これは、江戸時代末期から明治4(1871)年あたりにかけて横須賀で作られていたものです。

 この時代の赤れんがは大変に貴重なもので、この当時は、東京でも珍しかった時代でした。

横須賀では他都市に先駆けてこれを製造し、赤れんがを使った建物を建設していました。

 横須賀が赤れんが製造をいち早く始めた理由の一つに、横須賀製鉄所の建設がありました。横須賀製鉄所は、造船や船の修理、機械の製造などを行う総合的な工場として、江戸時代末期に起工しましたが、工場建築の耐火性の確保が課題となりました。そこで壁などに用いる材料として選ばれたのが、赤れんがでした。横須賀製鉄所では赤れんがに限らず、国産品をなるべく多く使おうとする方針がありましたが、当時の日本では、赤れんがはまだ大量生産されていませんでした。横須賀製鉄所の建設を指導したフランス人技術者は、赤れんがの国産化が可能であると判断して製造実験を行い、その量産化を成功に導きました。横須賀での赤れんが製造では、横須賀製鉄所首長ヴェルニーが勤めていたブレスト海軍の赤れんが製造法も参考にされ、寸法もほぼ同一の規格が導入されました。「ヨコスカ製銕所」刻印れんがは工場以外にも、横須賀製鉄所が建設した日本初の西洋式の灯台である観音埼灯台、続いて建設された品川灯台(国指定重要文化財)、横須賀製鉄所副首長ティボディエ官舎などにも用いられ、幅広く活用されました。

 日本遺産となった横須賀の赤れんがには、もう一つ「ヨコスカ造舩所」刻印れんががあります。

 こちらは、横須賀製鉄所が横須賀造船所と改称された明治4年以降に製造されたものと考えられますが、現存数が極めて少なく、希少な存在となっています。発見例は、横須賀市内に加えて、横須賀製鉄所が建築を担当した富岡製糸場内で発見されたものを含めても、これまで数点しか確認されていません。これに対して、「ヨコスカ製銕所」刻印れんがは現存数が多く、博物館に加えてヴェルニー記念館にも実物を展示しています。

 今後、「ヨコスカ造舩所」刻印れんがの発見につとめ、兄貴分である「ヨコスカ製銕所」刻印れんがと合せて兄弟そろっての展示ができるよう願っています。(近代建築学担当:菊地)

 

日本遺産「ヨコスカ造舩所」刻印れんが

 

 

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