古代、文字の読み書きはエリートの証?

 エジプトのヒエログリフ、インダス文明の楔形(くさびがた)文字、中国の甲骨(こうこつ)文字など、世界各地で発明された「文字」は文明の発展に不可欠でした。なぜなら、それまでの口伝(くでん)という個人の記憶にたよる曖昧さから脱却し、文字で記すことにより誰でも客観的な情報が時間・空間を超えて共有可能となったからです。文字による記録は人や家畜、物資などの管理・輸送を容易にし、報告・命令における正確な意志の伝達なども可能としたのです。
 日本における最古の文字資料については諸説ありますが、全国的に文字が普及するのは奈良・平安時代などの古代からです。金属製の骨壺や墓誌、石碑などに文字を刻んだ金石文は少なく、土器に所属先などを記した「墨書(ぼくしょ)土器」、役所に荷物を送る際の荷札である「木簡(もっかん)」などが遺跡から多数出土します。なかには不用になった公文書を再利用し、漆を接着剤としてカゴなどに重ね張りした結果文書が保存され、X線を照射することで解読される「漆紙文書(うるしがみもんじょ)」などもあります。
 文字の読み書きは学習方法が高度に整備された現代においても相当の時間と努力が必要です。それでは、古代の文字は誰が書いていたのでしょうか。優雅に歌を詠んでいた貴族達はいうまでもありませんが、木簡や漆紙文書の内容からみて、そのほとんどは公文書などを作成していた公務員、すなわち都・地方を問わず役人が書いていたと考えられます。つまり古代においては、文字が書ける=エリート=役人であったことになります。ただし、彼ら役人をはるかに超えるスーパーエリートも存在していました。それは僧侶です。経典の読み書きは無論のこと、古代の僧侶は医学・薬学、土木・農業技術、教育・芸術など多方面に精通した豊富な知識と経験を有していたことから、各地で重用されていたのです。
 横須賀市内で確認されている古代の文字関連資料は極めて少ないのですが、そのなかで津久井大町谷東(おおまちやひがし)遺跡から出土した平安時代中期頃の須恵器円面硯(すえきえんめんけん)が注目されます。硯(すずり)は墨で文字を書くためだけに使われる道具ですから、この時期津久井浜にはこの硯を使って文字を書いていた役人あるいは僧侶がいた、すなわち役所か寺院が存在していた可能性が高いことになります。同じ遺跡内の法蔵院付近からは「‥蔵寺」と書かれた墨書土器が出土しています。津久井浜に住まいした古代の僧侶がこの円面硯を使って、土器に「‥蔵寺」と書いたのでしょうか。(考古学担当:稲村)

 

大町谷東遺跡出土須恵器円面硯

大町谷東遺跡出土「‥蔵寺」墨書土器

 

 

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